【物理学】ファインマンと日本の物理学者のすれ違い…
物理学を修める者なら誰もが手に取る伝説の教科書、『ファインマン物理学』。しかし、この教科書にも一つ弱点がある──「長い」ということだ。
ファインマン vs. 日本の物理学徒
当時、同級生の秀才たちは『ファインマン物理学』を馬鹿にして、件のフランス人の教科書や、ロシア(旧ソ連)の天才が書いたランダウ=リフシッツの教科書を好んで読んでいた。
なぜ『ファインマン物理学』が馬鹿にされていたかといえば、数式よりも地の文が多かったからだ。
「なに、この数式の少ない文章ばかりの本、ぷぷぷ」
みたいな感じで。
このような日本の物理学徒の数学盲信については、ファインマン自身が京都に滞在していたときに学徒たちと丁々発止のやりとりをしている。
延々と黒板を数式で埋め尽くす日本の物理学徒に対して、ファインマンさんは、さらりと「なんだか物理学的に違和感がある」というような感想を洩らす。物理学徒は、数式が完璧だから自分は正しいと主張し、激論となる。
ファインマンさんにとって数学は言語であり、その言語で何を語るかが重要だった。だから、数式の背後にある物理現象をイメージしてみて、辻褄が合わないなと感じたのだ。ところが、数式だけが命の物理学徒には、イマジネーションが欠けているから、(数式を書き連ねるという意味では)雄弁なだけで中身がない。
となると、『ファインマン物理学』の地の文がいかに重要であるかがおわかりいただけるだろう。そう、そこにはファインマンという不世出の天才の脳髄から溢れ出る豊穣なイマジネーションがいっぱい詰まっているのだ。
転載元:ヤフーニュース
名無しさん
ファインマンが嫌うような物理の授業って多いね。大体は理論学者が授業やって、数学的に完璧なのを必死で主張するんだが、物理イメージまでは説明しないから。
数式でしか物理を語れない人達は、難しいことをやってるって自分に酔ってるタイプが多いしね。
数式でしか物理を語れない人達は、難しいことをやってるって自分に酔ってるタイプが多いしね。
名無しさん
すらすらと黒板に数式を書く日本の学生にファインマン先生は“それであなたの物理はなんなのですか?”とイライラしながら問うたと言います。物理のこころが大事だ、それを議論しましょう、ということのようですね。
数式が理解できても物理が分かっているかは別問題。ランダウ=リフシッツの「力学」は数式の理解だけなら評判ほど難しくはない。難しいのは行間にある「物理」を汲み出せるかどうか。そのあたりを彼流に地の文で表しているのがファインマン物理学。それゆえに「ファインマンの物理学」と呼ばれたりもしますが、少なくとも凡人の私は“こうやって現象を考えていくんだな”と(記事と同じく)頷きながら読みました。含みが多いです。
数式が理解できても物理が分かっているかは別問題。ランダウ=リフシッツの「力学」は数式の理解だけなら評判ほど難しくはない。難しいのは行間にある「物理」を汲み出せるかどうか。そのあたりを彼流に地の文で表しているのがファインマン物理学。それゆえに「ファインマンの物理学」と呼ばれたりもしますが、少なくとも凡人の私は“こうやって現象を考えていくんだな”と(記事と同じく)頷きながら読みました。含みが多いです。
通りすがり
京都の理論物理学国際会議でのファインマンの発言は、そのように生ぬるいものではなかったはず。Completelynothing、というようなレベルで、後々、日本の物理学者の間では、ファインマン爆弾、と言われたはずです。
名無しさん
今に伝わるファインマンの性格とか逸話を考えると、そっちの方がありえそうですね。
名無しさん
あくまで個人の意見ですが。
数式というのは整合性が取り易いので、実は理解する気になれば一番分かり易い。 数式を敬遠する人は、駒の動かし方を理解せずに将棋に挑む様なものと思う。一方オートマチックに数式を追う様な人は、数式自体の意味を見落としがち。
例えば、自由落下運動の公式では変異の量に時間の自乗の項が出て来ますが、ストップウォッチの無いガリレオの時代に時間の自乗をどうやって見出したのか、きちんと理解している人は少ないですね。
数式というのは整合性が取り易いので、実は理解する気になれば一番分かり易い。 数式を敬遠する人は、駒の動かし方を理解せずに将棋に挑む様なものと思う。一方オートマチックに数式を追う様な人は、数式自体の意味を見落としがち。
例えば、自由落下運動の公式では変異の量に時間の自乗の項が出て来ますが、ストップウォッチの無いガリレオの時代に時間の自乗をどうやって見出したのか、きちんと理解している人は少ないですね。
名無しさん
数式化できていない時点でそれは検討仮設にすぎない。
その仮説を立てるのも物理学では非常に重要だけど、
ファインマンはそっちを重視したわけね。
その仮説を立てるのも物理学では非常に重要だけど、
ファインマンはそっちを重視したわけね。
名無しさん
同じものでも別の見方があって、わかりやすさは優れてる、劣ってるではなく人それぞれに合っているものや苦手なものがあるって事でしょ。
名無しさん
ブルバキとスミルノフ
ランダウリフシッツとファインマン
教育理念としては対立するものではなくて相互補完するもので、どっちも私にとっては見上げる存在ですわ。
ランダウリフシッツとファインマン
教育理念としては対立するものではなくて相互補完するもので、どっちも私にとっては見上げる存在ですわ。
名無しさん
サイエンス才能ZERO
カリスマ傍観者
数式は万国共通の言語であるから、地の文で説明しなくても本来なら伝わるはず。
数式を見ただけで理解できる人には、ダラダラと説明されても読むのが面倒に思えるかもしれませんが、
いきなり数式だけを見せられても理解できない人には
地の文で説明してくれた方が理解が進むので、教科書には向いていると思う。
色を世界共通のRGB数値やカラーコードで示されるより、
オレンジとか緑、といった慣れ親しんだ言葉の方が理解しやすいのと同じ。
でも、まつざきしげる色とか国防色とか
知らない色の名前を出されても理解できないのと同様に、
地の文で説明されても理解できないものは理解できないです…
数式を見ただけで理解できる人には、ダラダラと説明されても読むのが面倒に思えるかもしれませんが、
いきなり数式だけを見せられても理解できない人には
地の文で説明してくれた方が理解が進むので、教科書には向いていると思う。
色を世界共通のRGB数値やカラーコードで示されるより、
オレンジとか緑、といった慣れ親しんだ言葉の方が理解しやすいのと同じ。
でも、まつざきしげる色とか国防色とか
知らない色の名前を出されても理解できないのと同様に、
地の文で説明されても理解できないものは理解できないです…
あにょ
数式はなくても、言葉で説明する方が数学的知識が無くても理解してもらえるため、多くの人に理解してもらえるかもしれない。
だが物理学の知識が無ければ、言葉も理解できないであろう。
だが物理学の知識が無ければ、言葉も理解できないであろう。
名無しさん
むしろ、ファインマンと戦った京都の学生(京大?)が凄いわ。
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