「良い習慣を身につける前に、悪い習慣をやめるべきだ」。そう説くのはアメリカの人気サイコセラピスト、エイミー・モーリンだ。

嫌われるのが怖くて「みんなにいい顔」してない?
悪い習慣にはいろいろあるが、いちばん害になるのは思考習慣だ。メンタルが強い人はそうした習慣をやめているが、どれもありがちなものばかり。たとえば「みんなにいい顔をする習慣」が、あなたにもないだろうか?
みんなにいい顔をする―嫌われるのが怖くて、自分を犠牲にしてでもイエスと言う。
35歳のミーガンは、まさにそうだった。パート主婦の彼女は「良き妻・良き母」でいたいと努力しているが、「きちんとやれていない」と感じている。
それもそのはず、ミーガンは「ノーと言えない人」なのだ。
働きながら家事をして、まだ幼い二人の子どもを育てるだけでも大変なのに、教会の日曜学校で教え、ガールスカウトのリーダーを引き受け、「お姉ちゃん、お願い」と言われたら、妹の子どものベビーシッターまでする。
彼女は「自分本位な人」と思われるのが怖いし、「常にみんなに好かれていたい」と願っているのだ。
「ほめられて伸びるタイプ」を待ち受ける落とし穴
ミーガンは、友達がお茶を飲みたそうだな、と思ったら、家族が待っていて自分は早く帰りたくても「カフェに寄る?」と誘ってしまうという。
さらに職場でも、「自分がどうしたいか・仕事上どうすべきか」ではなく、「どうやったら周りの人が喜ぶか」を基準に行動する。みんなにいい顔をする習慣が染みついている人は、他人からのほめ言葉や励ましを生きがいにしているので、前向きな反応がないと耐えられないのだ。
「私はほめられて伸びるタイプだ」と自認している人は、「みんなにいい顔をする習慣」がないか、チェックしてみたほうがいい。
いくらみんなにいい顔をしているつもりでも、自分の本心を隠して相手を喜ばせようとする人は、深い人間関係を築けない。うわべだけで合わせていても、周りからは見抜かれている。「本音を言わない、信用できない人」と思われている危険すらある。
だが、本当にあなたを評価し、好意を持ってくれる人は、時に「ノー」と言ってもちゃんと受け入れてくれるものだ。
「ノー」と言うための理由はいらない
このように、みんなに「イエス」と言うために、自分や大切な人を犠牲にしているパターンは多い。ミーガンも、あらゆる頼まれごとを引き受けてしまうために、家族との時間や自分のプライベートな時間が奪われていた。
そこで彼女はまず、できない頼まれごとや気がすすまない誘いに対して、「ノー」と言う訓練を始めた。なぜノーなのか、理由を説明する必要はない。ただシンプルに「できない」「無理だわ」「やめておくね」と正直に言う。そして自分に言い聞かせるのだ。
「みんなにイエスと言うのは、夫と子どもにノーと言うこと」
介護士が明かす「死ぬ瞬間、誰もが後悔すること」
『死ぬ瞬間の5つの後悔』(新潮社)の著者でオーストラリアの介護士ブロニー・ウェアによれば、死の床で人が語る最大の後悔は「周りの人を喜ばせてばかりいて、自分に正直な人生を生きなかったこと」だという。みんなが好む服装、行動、話し方をするのではなく、自分らしく生きればよかった、と悔やむのだ。
さあ、あなたも「みんなにいい顔をする習慣」を手放そう。シンプルに「ノー」と言おう。正直になろう。そして、自分と、本当に喜ばせたい人をもっと大切にしよう。
参照元:ヤフーニュース
名無しさん
10/27(日)11:36
一人でいる事を恐れない、他人からの評価を気にしない。そういう人は、一見「変わり者」と評価されがちだけど、実は観察眼に優れ、相談事などすると、最も的確な答えを出してくれたりする。
少数ですが、必ずこういうタイプの人はいます。
一歩、集団の輪から離れてみる勇気も必要。
名無しさん
10/27(日)23:45
いました。こういう人。他の人からは変わった人、と嫌われていたけど、
ちゃんと自分の考え、やり方を持っていて。
誰よりもまじめな人で、私は信頼していました。
困った時には、手助けしてくれて。
でも押しつけがましい事もなく、とてもスマートな仕事ぶりで、尊敬していました。
今は遠くへ移動になってしまいましたが、
いつかまた一緒に仕事がしたいですね。
@ray_na11
10/27(日)18:30
>自分に正直な人生を生きなかったこと日本人なら兎も角オーストラリア人がそう言うのは意外でした。
多くの日本人を拝見して、そんなに我慢しなくて良いとは良く思います。良い悪いは別にして、今儲けてるのって我儘放題やってる連中だからね。そうじゃなければ、他人に我慢を強いて、薄給で働かせてる経営者(これは旧来の人々、年配が多い)。
名無しさん
10/28(月)23:16
ツルむことを和と勘違いしている方も多いと思いますけどね。そういうタイプの人は同調圧力が強いですから頻繁に付き合うと窮屈になります。
名無しさん
10/27(日)18:22
離婚をしてからプライベートは孤独。だからと言って誰かとつるんでいたいという気持ちは無く、独りで登山へ行ったりキャンプへ行ったり美術館へ行ったり楽しんでいます。
会社ではポッチではなくいちおう人の輪の中心付近にいたりするのですがプライベートでもつるもうという気にはなれません。
仕事上の仲間と友人は全く別物。
名無しさん
10/27(日)19:57
コメ主が言ってる、一人で居る事を恐れないってのは、つるむのが苦手とか好きとかそんなんじゃないんだよね
一人で自分の道を他人に迷惑かけずに進める人って事なんだよね・・・
Ăncơmchưa?
10/28(月)3:18
なんかこの記事を履き違えて捉える人多そうに感じました。自己本位を助長しかねないなと。
ノーと言ったりいい顔しないで自分をしっかり持ったりするのと自己中は似ているようで大きく違うので。
名無しさん
10/27(日)15:15
要するに、他人の物差しで自分をはかるのでなく、自分の物差しではかれということだと思います。
d*
10/28(月)22:09
集団社会における和を尊ぶ日本人には馴染めないですねきっと。それも、そうじゃないのも、ありだと思いますよ。きっと。
名無しさん
10/29(火)1:08
現実は輪から外れたら上司に目をつけられる。仕事ができていようが輪や雰囲気を乱していると判断される。こういう老害には時代に則ってさっさと引退してほしい。
名無しさん
10/27(日)20:03
忍耐、我慢は時にマイナスになる
肝臓先生
10/27(日)20:14
正直さと建て前のバランスや使い分けが重要だと思うんだが。この記事は極端過ぎる。
名無しさん
10/27(日)12:37
ノーというには相手との関係やタイミングや語彙表現を豊富に瞬時に取り出せるようにね!
名無しさん
10/27(日)19:38
現代社会の闇の根源はSNSだよ。
名無しさん
10/27(日)12:00
確かに昔から「良い人」「優しい」と言われ続け 自分は優しさしか取り柄がないのだからそうでないといけないみたいな感じで、自分がすごく疲れてる時でも電車の中では目の前に高齢者がいれば無理してでも席を譲り痩せ我慢ばかり・・。
周りにはお元気そうな若者が座っているのに
何故か、昔から面倒な頼まれごともされやすく引き受けてしまい・・掃除当番とか・・
そういう事が積み重なり、現状が出来ているのだと思うと
本当にもっと自分に正直で人に良い恰好しないで 人を優先ばかりせず自分の気持ちに素直であれと思います。
今からじゃ遅すぎだけど、今からでも自分に正直にならないとと思う。
名無しさん
10/28(月)22:59
優しいかた!あなたの優しさに助けられた人はたくさんいてるはず!これからはその優しさを自分へも向けてあげてくださいね。
名無しさん
10/27(日)16:48
私も同じような考えのもと、心を壊してしまって仕事を休むようになってしまいました。一度壊れた心は治るまで時間がかかりますので、「優しすぎる人」にならないようにしてください。
名無しさん
10/28(月)0:08
他者評価で生きていると、どんなに褒められても満たされない何かがある。そして、些細な自分の行動を思い返しては、いけなかったんじゃないかと心配になる。
ほんと疲れるんですよね。
心配しなくても、ワガママな人間にはなり得ないので、自分のしたい事をしたらいいし、迷惑な事は親でもはっきり迷惑だと言っても大丈夫だと思う。
名無しさん
10/28(月)7:34
自分が思っているよりも周りは自分のことを高評価していない事はよく有る。「素敵な自分」や「優しい私」と思っているのは案外自分だけだと思うよ。
名無しさん
これまで他人に「良い人・善人」と思われたかったなら、そんな努力は無駄なので即やめた方がいいです。
しかし立派な人格者になりたいと思う気持ちがあるなら大事に待ち続けて下さい。
善行を、誰も見てないところで、たった1人で月に居ても出来ますか?出来るなら本物ですし、それが信念がある人格者だということだと思います。
名無しさん
10/27(日)15:53
善き行動は周りに認められなくても自身で認めてあげてほしいと思います。
choco
人が見えるところで行う善行は、すぐに讃えられ、すぐに忘れられる。
人が見えないところで積み上げた善行は、認められるまでに時間がかかるが、ひとたび面に出たら一生忘れられない。
前者と後者を織り交ぜて生きてゆければ楽しい人生になりそうです。
名無しさん
10/27(日)21:10
人に優しくするのをやめて気がついたのは人に優しい人が世界を制しているということだ
優しい人に対して歯向かうことはないし
もし歯向かえば優しい人を守ろうと周りが動く
名無しさん
10/27(日)12:31
記事の趣旨もさることながら、米国でも他人に“忖度”して気を使い過ぎる人っているんだなあと思った。米国というと、個人主義的傾向が日本よりはるかに強く、各自自己主張が強くて容易に自分を曲げないというイメージがあったが、性格的な面では意外と「人類みな兄弟」なのか。
名無しさん
10/27(日)12:40
日本における一般人の忖度は、あくまで所属する集団に対してのみだよね。職場とか地域とか。米国というかキリスト教圏の一般人の忖度は、汝隣人を愛せよの脅迫的博愛観念が根底にあるから、接した者すべてに手当たり次第良い顔しようという病的なカメレオンのような人間がそう珍しくなく存在する。
しかもそれが宗教的には正しいことである以上、それに反することがあれば自分を責めてカウンセリングに行くから救いようがない。
名無しさん
10/27(日)23:53
海外の方は知らないので分かりませんが、キリスト教の博愛精神は本当にすごいと感じます。怖いくらい親切すぎて、自分の至らなさが浮き彫りになります。
やっぱり、その博愛観念に潰される方もおられるのですね。
人間、神にはなれません。
ほどほどが大切ですね。
名無しさん
>汝隣人を愛せよの脅迫的博愛観念が根底にあるから、
それは、あくまでも「キリスト教徒である隣人」に対するものです。
異教徒にまで及ぶものじゃあありません。
そこんとこ勘違いするとえらい目に会いますよ。
名無しさん
>米国というと、個人主義的傾向が日本よりはるかに強く、各自自己主張が強くて容易に自分を曲げないというイメージがあったが
でも、YES、NOはすごくはっきりしています。NOと言う時の身も蓋もない言いぐさは、相手の感情を気遣って柔らかく断るのが習い症になっている日本人からすると「ええっ?」って感じで、未だに慣れません。
YAME/./
10/27(日)19:54
メンタルが強いだけが特権ではないと思う。メンタルが弱い人は、ナイーブで繊細だったりする。
俗に、芸術家が多かったりもする。
人の痛みも感じ優しくなれる良いとこも沢山ある。
メンタルが強いことばかりに焦点やNOと言うことに焦点をあてるのは
個人的にはどうかと思う。
本だから、極端な書き方をするのかも知れないけど。
名無しさん
10/28(月)21:33
私もメンタル弱いですけど、開き直ることで立ち直ってます。そんなわたしは周りから鈍感と言われます。鈍感なとこもあるのでしょうが、わざと鈍感なフリしてる時もあります。人それぞれうまく対処すればいいと思う、自分の感情は
名無しさん
10/27(日)10:56
自分の能力の低さに気付いてしまった人間は他人の顔色を伺わないと生きていけないんだよ。
若くても飲み込みがはやく優秀で取引先との人間関係にも悩まないようなタイプは、年齢が上だろうが下だろうが、言わなければいけないことはきつめに言ってくる。給料も倍近くある。最初は調子に乗ってるんじゃないかと思っていたのたが、仕事が終われば朗らかでユーモアがあり、食事にも誘ってくれる。
顔色を伺う生き方は生きづらいと言うが、これは元々の能力で皆がみんな同じことは出来ない
名無しさん
自分に自信があるかないかだな。
自信がある人はズバズバ言える。ない人は言えない。
その自信は今までどれだけ他人にリスペクトされてきたかだ。
名無しさん
10/27(日)15:08
『いい人ですね』って言葉は素敵ですが、『自分にとって都合のいい人』が含まれてる事もあります。人生の半分を過ぎてからは多少嫌われてもいいと開き直りました。良い顔するのは疲れるし、よく考えれば相手にも失礼だと思います。八方美人で誰からも好かれるより嫌いな奴からは嫌われても良くないですか?誰か1人でもお前の事すごく好きだなって思ってくれれば。
ぱっぱらぱ
10/27(日)21:30
10代の時に、いい人=都合のよいどうでもよい人。だと悟り、それ以降は良い人キャラを辞め、我が道を行くキャラに変えました。良い人辞めると楽で良いですね。友人は減りましたが(笑)
名無しさん
10/27(日)22:56
昔はノーと言えなかった、駅を歩けばティッシュやチラシを断れず駅を出るころには両手で持ちきれないほどになるときも、宗教の勧誘も街中でいきなり祈らせてくれと言うのも断れなかった私ですが、その意気地の無い弱い所が原因で18歳で30万のコートを買わされた。毎晩眠れず返品とかも分からず着もしないコートを泣きながら隠し、誰にも言えずにローンを払った
ローンを払い終わって一度も気なかったコートを捨てて変わろうと誓った。勇気を出しティッシュを断る所から頑張った!
今じゃ、鼻水出たから自分からティッシュ貰いに行くぐらい図太くなれたし、断るし値切るし!立派なおばちゃんになったっ!嫌な事はイヤと言えるようになった。が、断って心の中が罪悪感でいっぱいになるのは変われないようです
名無しさん
メンタルによって左右される事柄は多種多様で、ある意味才能よりもメンタルの強さで決まってしまうような気さえします。
日本にいた頃の私はまさにこの女性のような感じでした、アメリカに来ていろんな上司や同僚と接するにあたりメンタル面がかなり鍛えられた気がします。
おかしいと思ったことは上司にでもはっきりと言われたことの本意を問いただすことができるようになりましたし、NOを言うことがそれほど難しくなくなりました。
出来る事は協力するけど無理な事は”悪いわね、ちょっと無理だわ”と自分で無理をしないように断るようにしました。
面白いことに自分の意思をはっきりと伝えることがその後の信頼関係にも弾みがつくということもわかりました。
こうして文章で読んでみると納得できることが多くあります。
名無しさん
10/28(月)0:29
一昔前の嫌われる勇気みたいな感じかな?これは内面が成長してくると自然に出来るようになります。つるまなくても行動が出来るようになる。ストレスにも強くなる
でも孤独になるとは真逆です。自分が助けるべき相手が出来てくるので忙しくなります。
名無しさん
10/27(日)14:15
私は他人から嫌われても気にしない人間になりました。前の自分よりも楽しい人生を過ごせていると断言できます。
名無しさん
10/27(日)13:15
みんなにいい顔、と言っても様々。その瞬間だけいい顔する人はラクしてるように思える。相手に合わせてたら自分が考えなくてもいいから。
みんなが上手く収まるように、みんなを嫌な思いにさせまいと尽力してる人はすごいと思う。
名無しさん
10/27(日)12:22
「皆にいい顔をする≠他人に親切にする」であることを忘れないで欲しい。
名無しさん
10/27(日)18:28
メンタルの強い人は、都合の悪い事は寝たら忘れるタイプの方です。
名無しさん
10/27(日)17:50
わたしの夫はまさにこのタイプです。我が道をいく人ですが、メンタルは確かに強いです。一方で他人の気持ちが理解できず、空気の読めず、一緒に暮らしているとしんどいです。
名無しさん
記事中の違和感を指摘してくださってありがとう!
いい顔をする習慣が悪いことみたいに言われていて違和感がありました。ニコニコして相手を良い気持ちにさせるの、何処がいけないの?ですよね!
自分に無理がなければいつでも笑顔でいいですよね。私は仏頂面する方がストレス溜まります^^
名無しさん
10/28(月)18:10
自分に正直に生きても、結局後悔はするけどね。後悔しない人生なんてないと思う。人間は後悔することで進歩するように出来てるから。
名無しさん
10/27(日)21:16
S Jobsは毎朝鏡の中の自分に、死に際に後悔しない、本当にやりたいことをやれているかどうか、聞いていたらしい。要するに自分のこころの中の欲求に、きちんと向き合っていたのだろう。これは実はしんどい作業だ。周りの目をやたらに気にするだけの人は、人生通しておそらくこれができていない。
名無しさん
10/27(日)16:17
死ぬ直前に後悔している事がある人に対して、その内容のアンケートを取ったところ、ダントツの一位が「挑戦しなかった事。」だと読んだ事がある。リスクを恐れて挑戦しなくても、思い切って挑戦しても、その結果はともかく人間は例外なく死ぬのだと人生の最後にはっきりと認識するのだという。
名無しさん
10/28(月)0:20
無理してまで優しくする必要はないけど、人に優しくすることはいい習慣だよ。きっと、幸せが返ってくるから。